忘れちゃダメだと思ったこと。

最近インターネットで妊娠中のこと、お産のこと、めちゃめちゃ調べてた。



つわり中にした旦那との喧嘩エピソードとか、お産中にとってしまった自分でもよくわからない行動とか、そういうのをまとめてるページとかがあって、面白いなと思って色々読んでた。


で、今日はたまたまこんなページを見つけた。

「出産と同時に妻がなくなってしまった」という人の話。




奥さんとの馴れ初めから全部書いてた。

学生時代に知り合って、それはそれは大好きだったってこと。いっぱい喧嘩もしたけど、最後にはちゃんといつも仲直りして、結婚して、膨れたお腹を撫でる奥さんを見ていつも愛おしく思っていたこと。
性別は生まれてからのお楽しみにとっていて、赤ちゃんが生まれてから二人で名前を考えるのを楽しみにしていたこと。

奥さんがなくなった時、頭が真っ白になって、何も考えられなかったということ。

それでも生まれてきた奥さんの血を引く子供を一生懸命育てたこと。



読んでたら涙が出た。

そうだよな。

子供なんか街に出たらいっぱいいて、当たり前のようにお母さんもいっぱいいて、
いまは高知と大阪で離れてるけど、私にだってちゃんとお母さんがいて。私がいて。


でもそれって、当たり前じゃないんだよな。


命をかけて子供を産んで、亡くなっちゃう人だっている。
あるいは、子供だけ死産になったり、
あるいは、両方が命を落とすことだってある。


もちろん街を歩けばわかるように、みんながみんなそうじゃないし、ほとんどの人は妊娠がわかったとき、無事生まれるものだと考えるんだろうけど。私もそう考えてたしね。


でも、やっぱりそういう悲しいお産になるってことも、ありえる話なんだよな。



お産に限らず、今生きてることってほんとに奇跡みたいなことなんだよな。

いってらっしゃいって見送った旦那が、当たり前のようにただいまって帰ってくることも。
私が電話したらお母さんが忙しそうに電話にでてくれることも。

どれもちゃんと生きてるから起きてることで、生きてなきゃできないことで、

なんか自分でも何言ってんのかわかんないけど、生きてるって実はすごいことなんだよな。


命なんていつ消えるかわかんない。なくなるかわかんない。
だからむやみに人を傷つけちゃいけなくて、人を大事にしなきゃいけないんだよな。


なんて、
ふと考えた。


私は何歳だ。

人を傷つけちゃいけませんとか、子供の時から親に言われてるし、みんな知ってる。
もちろん私だって知ってる。

なのに改めてこうやって感じる。命の重さ。


妊娠してるからかな。

自分にとってこのお腹の重さが、こんなにいろんなことを教えてくれるものになるとは思わなかった。


私はまだまだ若いし、命の重さなんか語ってたら、なんだよ若者がって笑われるかな?



でも私がもし無事に子供が産めたら、
もし子供が私の話を理解できる歳になったら、
人を大事にできる子に育てよう。人を愛せる子に育てよう。


そのためにも、私はこの子を精一杯愛そう。